中島公園でシマエナガと遭遇
昨年12月ごろから、時間があれば札幌近郊の公園で、シマエナガ探しをしていたのですが、なかなか出会うことができませんでした。
旭山記念公園のホームページでも、今シーズンはシマエナガとの遭遇機会が少ないとの情報もあり、もう無理かとあきらめていたところ、突然、15羽くらいのシマエナガの群が目の前に。
かわいいです。至福の時を過ごしました。
ちょこまかちょこまか動くので、なかなかうまく撮影できません。
が、割と近い範囲で動くので、カメラを少しずらすだけで、ファインダーにおさまってくれることも多かったです。
これがベストショットかな。
せっかくの正面カットでしたが、ブレブレです。
2羽同時に。
飛んだ、もしくは、飛んできた瞬間。
白くてかわいい。
「渡りの足跡」梨木 香歩著
福音館書店の新館の中に「草木鳥鳥文様」というタイトルの本を見つけ気にかかりました。
最近草花や野鳥に興味があるため引っかかったのですが、著者の梨木香歩さんの過去作品のタイトルを見ると、気になったものもあったので、早速図書館で借りて読んでみました。
その中の一冊「渡りの足跡」についてメモ代わりに書いておきます。
解説の野田研一さんによると、この作品は「ネイチャーライティング的な要素を色濃く内包するエッセイ作品」とのこと。
女満別空港から網走湖、斜里、知床へと向かうところからスタートするのですが、行ったことがある場所であるため、梨木さんの表現で景色が浮かび上がってきて、一気に読み進めてしまいました。
野鳥について書かれていたかと思うと、現地のガイドやドライバ-の話、宿泊先のホテルがたまたま読んでいた本に登場するホテルであったことから、その本に関する話題になるなど、話は時空を超えてあちこちに飛ぶのですが、その軽やかさが心地よい。
日本にやってくるオオワシに会いに、カムチャツカまで行ってしまうとは。
諏訪で出会ったオオワシに、知床で再会したエピソードは、自分の旅の可能性を拡げるものでもありました。
他にも「丹生都比売(におつひめ)」という、天武天皇と持統天皇の子どもの草壁皇子を主人公とした短編小説、「鳥と雲と薬草袋」という、全国の地名にまつわるエッセーを読みました。また、シベリア行の船の話も出ていたので、稚内からシベリアまで船で行ったことがあるようです。
野鳥・草花・神話・地名・シベリアと自分の興味と一致するものが勢ぞろいしているので、どの本を読んでもあっという間に読んでしまいます。
「鳥と雲と薬草袋」前書きで以下のような文があります
-薬草袋にごちゃごちゃ入っているメモのように、いつか行った土地の名まえ、それにまつわる物語も、鳥や雲の話に合わせて、書いていけたらと思っている-
自分が書きたい旅行の記録も、このようなものであるような気がしてきました。
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中島公園で夜間クロカンが始まっていた
「サガレン 樺太/サハリン 境界を旅する」梯 久美子著
サハリンへの興味
7月に「追跡 間宮林蔵探索ルート サハリン・アムール・択捉へ」を読んだ際、コロナの影響で現時点ではサハリン旅行は難しいものの、通常であれば一般の旅行も可能であることを知り、サハリン旅行関連の書籍を検索てみました。
cynchroniciteen.hatenablog.com
そこでヒットしたのが、梯久美子さんの「サガレン」です。2020年4月初版で新しい情報を得られるのではと思い、早速図書館で予約していました。
旅の醍醐味を再認識
予約した時点で30人以上の予約待ちだったので、予約したこと自体すっかり忘れていたのですが、年も明け、節分を迎えたころようやく順番が回ってきました。
サハリンへの興味はすっかり薄れていたのですが、あまりの面白さに一気に読んでしまいました。
なぜなら、そこに書かれていたのは、私が旅に求めている旅の醍醐味そのものだったからです。
その醍醐味とは何かということをざっくりいうと、ある場所へ旅をするということは、何かの影響を受けて興味を持ったわけで、その影響を受けた自分が、現地で自分なりの体験をし、行かなければ気づくことのなかった世界に出会い、シンクロニシティが起こることです。
旅の計画を立てる時は、ネットを駆使して情報を収集し、失敗がないようににしているので、気が付くと事前に決めたプランに沿って、事実を確認していくような旅になってしまうこともあります。
しかし、旅先でシンクロニシティーが起こると、やっぱり旅の醍醐味はこれだよなと思うのです。
ロシア人パン屋と林芙美子のシンクロニシティー
前半は林芙美子の「下駄で歩いたパリ」に収録されている「樺太への旅」という紀行文をもとに、林芙美子の旅をたどるものです。
林芙美子は白浦(ヴズモーリエ)駅のホームでロシア人からパンを買ったことを「樺太への旅」に書いているのですが、梯さんはパンを売るロシア人のことが気になり、東京に戻ってから調べています。まずは、北原白秋の樺太紀行「フレップ・トリップ」に白秋が樺太旅行中にパンを売るロシア人の家を見学にいった話を見つけています。
そして、ロシア極東連邦総合大学函館校のブログに、アダム・ムロチコフスキーという人が白浦できでパンを売っていたという記事を発見します。
さらに、ムロチコフスキーについて調べ、北海道大学のサイトで、ポーランドの紀行作家の旅行記「樺太のポーランド人たち」に、ムロチコフスキーのことが出ていることを発見します。
帝政ロシア時代のサハリンは流刑地でもあり、囚人の中には、当時ロシアが統治していたポーランドの政治犯もいたとのこと。ムロチコフスキーは、ロシア革命に巻き込まれ、ニコラエフクスから犬ぞりにのって間宮海峡を渡り、サハリンに逃げてきたポーランド人だったのです。
共産党がらみの容疑で拘留されたことがあった林芙美子に対し、梯さんが以下のように書いています。
「あのときあなたがパンを買ったのは、遠いポーランドで生まれ、革命に巻き込まれて死にかけ、艱難辛苦の果てに樺太に根を下ろした人だったんですよー泉下の芙美子にそう教えてやりたい気持ちになった」
梯久美子さんは、元編集者のノンフィクション作家です。気になったことは、ネットや図書館でかなり調べています。そして、1934年に作家・林芙美子が樺太の駅で買ったパン屋が、革命に巻き込まれたポーランド人だという事実にたどり着いています。
90年近くも後の世界で、このことを知れたということは、とても尊いことに感じられてなりません。林芙美子、ポーランドの紀行作家が書き記していたからこそ、気づくことができたわけで、梯さんがロシア人のパン屋に引っかかったからこそ、その事実にたどり着き、今私が知ることができたからです。
宮沢賢治とチェーホフのシンクロニシティーン
後半は、宮沢賢治の旅をたどるものです。
「銀河鉄道の夜」のモチーフになっていることでも知られていますが、「青森挽歌」「無声慟哭」「津軽海峡」「宗谷挽歌」「オホーツク挽歌」「樺太鉄道」といった詩から、多くの研究者が宮沢賢治のサハリンへの旅の工程を詳細に調べているので、そのルートに沿っています。
そして、メインとなるのが、宮沢賢治が白鳥湖を訪れたかどうかです。
「銀河鉄道の夜」で、ジョバンニとカンパネルラが途中下車する唯一の駅が白鳥の停車場なので、研究者からは、白鳥湖がモデルになっているのではないかとされています。しかし、宮沢賢治の詩に白鳥湖は出てきていないので、梯さんはそことに疑問を持ったわけです。
そして、実際に白鳥湖を訪れたうえで、「銀河鉄道の夜」の白鳥の停車場のシーンで書かれた内容を検証し、考察していきます。
さらに、宮沢賢治が白鳥をを訪れたかどうか調べるうえで、梯さんが参考にしたのがチェーホフのルポタージュ「サハリン島」です。
チェーホフとは、もちろんロシアの劇作家のアントン・チェーホフです。
チェーホフは1890年にモスクワから大陸を横断してサハリンにたどり着いています。目的は流人たちの実態を取材すること。そして「サハリン島」というルポタージュにまとめています。
梯さんは、「サハリン島」を読むことで、チェーホフと宮沢賢治が同じルートをたどっていたことに気付き、チェーホフが「沼地」と表しているところが白鳥湖であることに確信を持ちます。そして、その文章から、チェーホフが「なにもない」ということで白鳥湖に魅了されていることを読み取ります。
そのうえで、宮沢賢治が白鳥湖を訪れたのかどうか考察しています。
旅と文学
何かの文学作品の舞台となった地の多くは、地味な観光名所として観光マップに載っているので、時間があれば行ってみますが、説明文を流し読みして写真を撮るくらいのことしか普段していません。
気になったことを調べつくすことで、チェーホフと宮沢賢治にシンクロニシティーがあったことにたどり着けたことに、うらやましさを感じます
ネットで多くの情報を得られるために、自分自身の旅の感想が「思っていたより・・・」になってしまうことが多かった気がします。
旅先でのシンクロニシティーだけでなく、自分の中で引かかかったことを徹底して調べることで、時空を超えた出会いがある可能性に気付けました。
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小倉~福岡空港&まとめ(2020年10月西日本縦断旅行8日目)
最終日の行程とまとめ記事です。
小倉発
Tanga Tableの部屋の窓からの風景。天気が良いと窓が広くて気持ちいいです。
個室だとおもってたのですが、朝、隣の部屋のスマホのアラームが、まるで足元から聞こえたような気がしたので、防音性は低そうです。
(知らずに昨晩、音をだしてラジコを聞いてしまいました)
ホテルの裏は運河ですが、4Fの窓が宿の窓です。
朝食(資さん)
24時間営業なので、朝食もおせわになりました。
炙り天定食420円です。
福岡空港
福岡空港のお土産屋で、GoToクーポンを使ってお買いもの。
そのあとチェックインしようとしたのですが、搭乗フロアを見渡してもチェックインカウンターがない。
確か、前回も探したような記憶がありました。
結果的に下のフロアにあったですが、1年絶つと、すっかり忘れてしまうものですね。
総行程
地図上でざっと計測すると、舞鶴から福岡まで620㎞程度です。
山陰本線を中心に、日本海側をかなり制覇したような気がします。いい眺めを楽しめたのは良かったです。
鉄道の便はあまりよくなく、どの県も、瀬戸内海側の都市との交通のほうが充実しているような気がしました。
よかったところ
足立美術館
前評判の通り、展示品・展示環境ともに最高の美術館でした。
これからも、機会があれば立ち寄りたいです。企画展示などをチェックしていきたいと思います。
温泉津温泉
できれば1週間くらい滞在したいくらいでした。
いまだに元湯のお湯の感覚が忘れられません。
おそらく、年をとり、体が弱ってくるほど効能を実感できそうな気がするので、いつかまたゆっくり来たいです。
見逃したところ
神蹟 隠ヶ丘
日御碕の「神蹟 隠ヶ丘」に行けなかったの後悔です。
日御碕神社周辺には、古事記・日本書紀に書かれている出来事に関連した場所があり、現在も神事が執り行われていることに驚きました。
隠ヶ丘が、スサノオのお墓なのかなあと、思っています。
石見一宮物部神社
御祭神は、宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)。
御由緒をようやくすると以下の通り。
- 饒速日命(にぎはやひのみこと)が、天磐舟に乗って大和国哮峯(たけるがみね)に天降り、御炊屋姫命(みかしきやひめみのみこと)を娶られ宇摩志麻遅命が生まれる。
- 宇摩志麻遅命は、天香具山命と共に物部の兵を卒いて尾張・美濃・越国を平定し、天香具山命は新潟県の弥彦神社に鎮座される。
- 宇摩志麻遅命は、さらに播磨・丹波を経て石見国に入り、都留夫・忍原・於爾・曽保里を平定し、厳瓮(いつべ)を据え、天神を奉斎し(一瓶社の起源)、安の国(安濃郡名の起源) とした。
- 宇摩志麻遅命は、鶴に乗り鶴降山に降りられ国見をして、八百山が大和の天香具山ににていることから、この八百山の麓に宮居を築かれました。
もともとは、神体山である八百山を崇めていたが、天皇の勅命により継体天皇八年(513年) 社殿を創建したとのこと。
こちらも古事記・日本書紀に書かれた時代から続く、由緒ある神社のようです。
湯村温泉
摂氏98度の高温泉を毎分470リットルも湧出しているとのこと。
さすがに20%程度加水しているところが多いようですが、中には加水しないところもあるとか。
ほかにも、日本海側には各地に温泉があるようなので、もう少し山陰の温泉について調べてみたいと思います。
まとめ
とにかく、歴史が古い。神社の由緒も温泉の発見も、1000年以上前という古さ。
神話と歴史がクロスする感じにわくわくしてしまいました。
温泉津温泉~萩~小倉(2020年10月西日本縦断旅行7日目)
このあと、萩・長門・下関で迷ったのですが、短時間で多くの観光スポットを回れる萩に立ち寄ることにしました。
朝ぶろ
7時9分発の列車に乗る予定でしたので、最後に元湯へ。
6時オープン後すぐに入ったため一番乗り。どの浴槽にも湯の華がお湯の表面に幕を作っていました。
最初は一人で入っていたのですが、途中から地元のお姉さんが入り、入浴の仕方を教わりました。
熱い湯に入る前に、水を前と後ろから足にかけるとのこと。
確かに、足の先が熱くてしょうがなかったので、水をかけてから入ると、多少暑さが和らぎます。
もうこれで3回目だったので、2分程度浸かっていられるようになっていました。お姉さんにも驚かれました。
熱い湯につかったり、椅子で休んだりしていると、お姉さんが亀の子だわしで背中を洗ってくれました。普段なら信じられないですが、温まったからだに、亀の子だわしの刺激が気持ちよかったです。
温泉津温泉~萩
温泉津温泉駅舎と駅前の風景。温泉が今では徒歩15分程度ですが、輝雲荘の宿の方に送っていただけました。早朝なのにありがたいです。
(JR山陰本線)温泉津7:09発→益田08:41着【温泉津→東萩間2,310円】
相変わらずの日本海。朝の元湯の効果が出たのか、ほぼ熟睡でした。
(JR山陰本線)益田9:31発→東萩10:43着
益田駅と駅前ターミナル。雪舟・柿野本人麻呂の終焉の地とのことで、関連の公園や美術館があるようです。
駅構内の観光協会でレンタサイクルがあったのですが、9時開始だったので止めておきました。
駅構内にはセブンイレブンがあり、こちらでコーヒーとマフィンをいただきました。
益田からはこちらの車両。終点が東萩になります。
そして車窓からの眺め。
若干雨雲が出ています。
この時もまだ、朝の元湯疲れのためか、ほとんど熟睡でした。
(バス)東萩→市役所前
東萩駅です。駅前ローターリーから、萩循環まぁーるバスの東循環「松陰先生」が出ています。1回100円です。
当初は松陰神社付近を散策しようとおもっていましたが、雨がぱらついていたのでバスで外観だけチェックしました。
萩市役所駅で乗務員さんの交代があり、少し止まりそうだったのでこちらで下車しました。
萩散策
終始小雨が降る中、萩の町を散策しました。
萩・明倫学舎
萩藩校である明倫館の跡地に建ち、平成26年3月まで授業が行われていた旧明倫小学校校舎です。
本館は無料で、萩藩校明倫館や明倫小学校の展示、観光案内、カフェがありました。
2号館は有料で、「明治日本の産業革命遺産」「幕末ミュージアム」があるそうですが、パスしました。
敷地内には、旧明倫館の剣術場と槍術場を移た有備館があり、中に入れます。
青木周弼旧宅
萩・明倫学舎から歩いて15分くらいで、城下町エリアへ移動します。
まずは、幕末当時の蘭学者の住宅。
当時が描かれた蒔絵にも描かれています。
母屋は、来客用の部屋と、家族用の部屋で天井の高さに差がつけられていました。
青木周弼の跡取りは弟の青木研蔵。種痘の技術を初めて藩に持ち帰り、天然痘の予防に成功。藩主毛利敬親の即位を務め、明治2年には明治天皇の大典医にも任命されている。
青木研蔵の養子に入ったのが、周蔵。
ドイツに留学し、明治22年には第一次山形有朋内閣の外務大臣を務める。明治27年には駐英公使として、日英通商航海条約に調印し、領事裁判権の撤廃に成功したとこのと。
ここ、歴史で学んだ記憶があります。
奥様はドイツ貴族のエリザベットさん。
平成2年には1,200枚分の1分銀が床下から発見されています。
発見されたとき、木箱には明治2年の墨書があり、和紙包みの中に「青研」の文字があったことから、明治維新後に明治天皇の大典医となった研蔵のものと思われている。
研蔵は明治3年東京深川で事故死したため、行方が分からなくなったものと思われる。
江戸屋横丁
青木周弼邸を出て、木戸孝允邸へ向かいます。ここは、江戸屋横丁という通りです。
木戸孝允旧宅
青木邸の目と鼻の先に、木戸孝允邸があります。
こちらの木戸家で生まれ、9歳で桂家へ養子に行くものの、養母がなくなったため実家の木戸家で、江戸に出る20歳まで暮らしたとのこと。
普通の平屋建てのおうちという感じ。
2階の桁に書かれた桂小五郎少年の落書き。「ししてのちやむ」と読み、死ぬまで努力を続けるの意。
この画像では落書き部分が見えなかったので、次の写真を見てください。
薄暗いショーケースに、懐中電灯で光を当てると文字が見えるようになります。
桂小五郎少年の書道作品。「よくできました」の朱書きがあります。
旧久保田家住宅
江戸屋横丁から旧御成道に移動し、久保田家住宅へ。
蔵があるなど、お金持ちの商家の住宅です。
高杉晋作誕生の地
菊や横丁へ入ります。
高杉晋作誕生の地。木戸孝允生誕の地から、直線距離で100mもないと思います。
こちらは外から鑑賞。
堀内伝建地区
萩商家町周辺を歩いて、萩城址へ向かいます。
こちらは春日神社。時間が無くなってきたので、鳥居の前から参拝。
平安橋。城下町から三の丸への通路の一つの橋。
旧明倫館跡の碑
立派な石垣、みかんの木のある、完成な住宅街という感じ。現在も人が住まわれています。
堀内鍵曲(かいまがり)。
直角の道と、背の高い土塀により、外敵の侵入を防ぐ城下町独特のセキュリティーシステム。
萩城址
雨も本降りになってきましたが、ようやっと萩城址へ到着。
城址は指月公園となっていて、有料ではいれるのですが、風雨がひどくなってきたので、外観のみにしましたl
指月山を背景にきれいに整えられている城址でした。
石垣をぐるっと回ったのですが、すぐ横に海岸がありました。
きれいな砂浜でした。
せっかくなので、夏みかんジュース。甘酸っぱくってとてもおいしい。
このあと、萩循環まぁーるバスの西循環「晋作君」で萩駅へ。
萩駅の隣の玉枝駅にも停車したので、こちらで下車すれば、もう少し観光時間を長くとることができたと、後から反省。
萩~小倉(2,020円)
こちらの萩駅舎は展示などがあり、ここから列車には乗れません。
隣のJR駅舎から入ります。無人駅ですが、観光協会の方はいました。
正直、もっと大きい駅舎をイメージしていたので、拍子抜けです。
時刻表を見ると、長門行列車の前に、新下関行の「〇〇のはなし」という列車がありました。」先に発車するのに、目的地である小倉への到着は、一般の列車のほうが早かったので見送り。お座敷列車のようです。
(JR山陰本線)萩14:29発→長門15:02着
車両はこちら。
(JR山陰本線)長門15:20発→小串16:35着
長門駅では、元乃隅神社(もとのすみじんじゃ)推しと思われるオブジェがありました。
興味があったので、行こうかと思い調べたのですが、長門古市駅からタクシーで40分とあったので、断念しました。
(JR山陰本線)小串16:40発→下関17:24着
雨が降り続いています。
こちらは、本州最西橋の梅ヶ峠駅。「うめがとう」と読みます。
雨も上がり、夕日も少し見ることができました。
下関の手前の幡生駅が山陰本線の終着のようです。列車は下関まで向かいます。
(JR鹿児島本線)下関→小倉
下関から一気に小倉へ!と思っていたのですが、事故のため遅れが発生していました。
出雲以来の駅エスカレーターです。
下関で20分くらい待ってから、小倉行へ小倉へ。
Tanga Table
この日の宿は、小倉駅から歩いて10分のところにあるホステル。
地図の住所のところに行っても、入り口が見当たらないなあと思っていたら、ありました。4Fのようです。
ラウンジ
チェックインを済ませ、部屋へ向かいます。
左はキッチン&ラウンジ。
廊下を歩くと、ホテルというよりクラブっぽい雰囲気。
指定された部屋へ。
部屋
ドミトリーもあったのですが、wベッドの個室にしました。
白統一のシンプルな部屋。アメニティーはありませんが、ハンガー、タオルがあります。
大きな鍵付きロッカーもあります。
この上に洗面具などを置けたので使いやすかったです。
土足なので、スリッパは持って行ったほうがよかったですね。
1Fはブックオフ・焼き鳥屋・ローソン、3Fにはクリニック、上層階には某宗教施設が入居する町中の雑居ホテルを利用したホステルでした。
資さん
夕食処を探したところ、チェーンのうどん屋さんがあることが分かったため行ってみました。
おでんが1本100円だったのでオーダー。あとは、かしわうどん。
かしわうどんをネットで調べると「北九州で定番の、甘辛い鶏肉をトッピングしたうどん」とあります。
はじめて食べましたが、微妙でした。
皆さん、ごぼ天をオーダーしていたので、そっちにすればよかったです。
24時間営業で、メニューが豊富。福岡のウェストみたいだと思いました。
小倉城
小倉城がライトアップされていたので、近くまで行ってみました。
小倉城の前には川が流れ、川辺にはおしゃれなレストランが立ち並んでいました。
こんな風景も福岡の天神に雰囲気が似ていると思いました。
温泉津温泉街・沖泊・やきものの里(2020年10月西日本縦断旅行6日目)
温泉津温泉では、ゆっくりしたかったので2泊することにしました。
温泉につかり、周辺をぶらぶら歩いた1日です。
温泉津の朝
朝6時にアラームが鳴っているのかと思ったら、おそらく地元の短波放送で流れるメロディーです。漁港は早起きですね。
しばし周辺を散策しました。
温泉街から道を曲がって少し歩くと、すぐに山の中です。
基本的には杉林と竹林ですが、南国風のでかい植物も。
温泉街もそうですが、温泉津は山に挟まれた谷の部分に集落があるので、家のすぐ裏は崖です。
元湯
ぶらっとしてから元湯へ。朝6時から空いています。7時前に到着。
元湯の道路をはさんで反対側の駐車場には、飲泉設備がありました。
が、ボタンを押しても出てこない。
コロナの関係でお休みとのこと。
受付で450円支払い脱衣所へ。
鍵付きのロッカーがり、衣服を入れるかごもあります。かごは床に置いておきます。
左が熱い湯。右がぬるい湯。
お湯はじゃぶじゃぶかけ流されているわけではありません。
熱い湯は48度を指しています。ぬるい湯もたぶん43度くらいはあります。
はじめての方はこちらからと書かれた浴槽もあるので、まずはこちらから。
40度未満のお湯です。
そのあとぬるい湯で体を温め、熱い湯へ。
本当に熱いです。
足の先と手の先がひりひりして、数秒で断念。熱湯コマーシャル状態。
地元のお姉さんたちが、椅子に座ってのんびりしているので、まねして椅子に座って落ち着くまで休憩。
再度チャレンジし、10秒ぐらい入れるようになりました。
しかし、足の先が熱く、命からがら湯から上がります。
そして、再度椅子に座って休憩。
毎日来ているという地元の方に、温かく見守られながら、3回目のチャレンジ。
1分くらいは入っていられました。
なんだか細胞から大きな振動が伝わってくるような感じです。
すごいです。こんな温泉初めてです。
体を動かすと熱いので、首までしっかりつかって、動かないでじっとしているのがコツですね。
この時一緒だった方は、ほぼ毎日元湯に来ているとのこと。とにかく気持ちがよいとおっしゃっていました。
このあと長屋に帰り、1時間ほどうたたねをしました。いやー、最高ですね。
龍御前神社
御祭神は、大巳貴命・少彦名命・豊玉姫命・健磐龍命で、奈良天皇の天文元年に勧請されたとのこと。
この神社も岩山を背に建っていますが、右奥から登り階段があったので行ってみました。
階段を上り終わると坂道に。
上がりきると、ものすごい光景が飛び込んできました。
神社の名前の由来はこれですね。まるで、龍が乗り出しているようです。
もともとは、こちらの磐窟が本殿ようです。
屋根瓦もこんな感じ。龍?鬼?
温泉街を見下ろせます。
下に降りて、先ほどの龍の磐を見上げるとこんな感じ。下からは気づきませんでした。
沖泊
続いて、世界遺産の沖泊という港を目指します。
温泉津漁港の観光案内所ゆうゆう館を通りすぎていきます。
浜観音。岩の洞窟にお地蔵さんが祀られています。
漁港を歩き、途中から山のほうへ歩いていくと、トンネルが。ここをくぐります。
トンネルを抜けると、沖泊港。
右奥は櫛島という島です。櫛島城址もあります。また、こちら側(背中側)にも鶴の丸城址があります。もともとは、寇防塁の石見十八砦の一つで、そのあとは、山陰側の毛利水軍の拠点の一つだったそうです。
江戸時代には北前船の寄港地として栄えたところ。
まずは、恵比寿神社へお参り。
沖泊には特に何があるというわけではなく、駐車場があるだけ。
静かな海があります。
なぜここが世界遺産かというと、銀山から国内外へと銀を出荷するための港として鞆ケ浦の次に用いられた港だったからです。
よく見ていると動くものが。たぶんタコ。右は何でしょうか。
船をつないだ「鼻ぐり岩(はなぐりいわ)」がたくさん残っているとの情報をあとから知りました。
はじめて行くところは、しっかり事前学習が必要ですね。
港から集落のほうへ歩いてみましたが、すぐに行き止まりになりました。
やきものの里
もと来た道を途中まで戻り、山のほうからやきものの里へ向かいます。
2車線道路でたまにトラックが通過しました。途中には、総合運動場や住宅街なんかもありました。
しばらく歩くと、登り窯の屋根が見えてきます。
登り窯を下から見るとこんな感じ。
江戸中期の開窯で、戦前はハンドと呼ばれる水瓶の生産で知られ、海外にも輸出されていたそうです。
やきもの体験できるので、湯のみ茶碗を作りました。
手順やコツを教えてもらいながら、30分もしないで完成。
微妙な形ですが、完成後1か月程度で自宅へ送ってもらいます。
登り窯を上までの持っていくと、窯元が数軒あります。
こちらは森山窯さん。器が天日干しされていました。美しいです。
このあと、下り高を進み、温泉街へ戻ります。自然の傾斜に沿って集落や道があります。
温泉街へ向かっているつもりが、駅のほうに向かってしまいました。
途中スーパーで大田産のノドグロを購入。夕食にします。
薬師湯
長屋で一休みし、今度は薬師湯へ。
入り口を入り、入浴料500円を支払います。
浴室は1Fで、2Fと屋上で休憩できるので、ゆっくりしてくださいとのこと。
脱衣所も結構広いです。飲料水もありました。
浴槽は1つのみ。元湯よりかけ流し量が多いです。
温度は42~3くらい。
上がり湯として、新鮮で清潔な源泉をかけることを推奨していて、噴出口で温泉を体に当てないよう注意書きがありました。
が、私一人だったので、源泉すぐそばで新鮮なお湯をいただきました。
シャワーは4つありました。
2Fの休憩コーナー。ハイカラです。
右の写真の奥は、貸切風呂があるようです。
屋上です。左右の2か所があり、温泉街を見下ろせます。
反対側。ブランコもありました。
なんとコーヒーサービスもありました。
2日目夕食
スーパーで購入したのどくろをいただきました。
たんぱくながら、ほんのり塩味がおいしかったです。