温泉津温泉~萩~小倉(2020年10月西日本縦断旅行7日目)
このあと、萩・長門・下関で迷ったのですが、短時間で多くの観光スポットを回れる萩に立ち寄ることにしました。
朝ぶろ
7時9分発の列車に乗る予定でしたので、最後に元湯へ。
6時オープン後すぐに入ったため一番乗り。どの浴槽にも湯の華がお湯の表面に幕を作っていました。
最初は一人で入っていたのですが、途中から地元のお姉さんが入り、入浴の仕方を教わりました。
熱い湯に入る前に、水を前と後ろから足にかけるとのこと。
確かに、足の先が熱くてしょうがなかったので、水をかけてから入ると、多少暑さが和らぎます。
もうこれで3回目だったので、2分程度浸かっていられるようになっていました。お姉さんにも驚かれました。
熱い湯につかったり、椅子で休んだりしていると、お姉さんが亀の子だわしで背中を洗ってくれました。普段なら信じられないですが、温まったからだに、亀の子だわしの刺激が気持ちよかったです。
温泉津温泉~萩
温泉津温泉駅舎と駅前の風景。温泉が今では徒歩15分程度ですが、輝雲荘の宿の方に送っていただけました。早朝なのにありがたいです。
(JR山陰本線)温泉津7:09発→益田08:41着【温泉津→東萩間2,310円】
相変わらずの日本海。朝の元湯の効果が出たのか、ほぼ熟睡でした。
(JR山陰本線)益田9:31発→東萩10:43着
益田駅と駅前ターミナル。雪舟・柿野本人麻呂の終焉の地とのことで、関連の公園や美術館があるようです。
駅構内の観光協会でレンタサイクルがあったのですが、9時開始だったので止めておきました。
駅構内にはセブンイレブンがあり、こちらでコーヒーとマフィンをいただきました。
益田からはこちらの車両。終点が東萩になります。
そして車窓からの眺め。
若干雨雲が出ています。
この時もまだ、朝の元湯疲れのためか、ほとんど熟睡でした。
(バス)東萩→市役所前
東萩駅です。駅前ローターリーから、萩循環まぁーるバスの東循環「松陰先生」が出ています。1回100円です。
当初は松陰神社付近を散策しようとおもっていましたが、雨がぱらついていたのでバスで外観だけチェックしました。
萩市役所駅で乗務員さんの交代があり、少し止まりそうだったのでこちらで下車しました。
萩散策
終始小雨が降る中、萩の町を散策しました。
萩・明倫学舎
萩藩校である明倫館の跡地に建ち、平成26年3月まで授業が行われていた旧明倫小学校校舎です。
本館は無料で、萩藩校明倫館や明倫小学校の展示、観光案内、カフェがありました。
2号館は有料で、「明治日本の産業革命遺産」「幕末ミュージアム」があるそうですが、パスしました。
敷地内には、旧明倫館の剣術場と槍術場を移た有備館があり、中に入れます。
青木周弼旧宅
萩・明倫学舎から歩いて15分くらいで、城下町エリアへ移動します。
まずは、幕末当時の蘭学者の住宅。
当時が描かれた蒔絵にも描かれています。
母屋は、来客用の部屋と、家族用の部屋で天井の高さに差がつけられていました。
青木周弼の跡取りは弟の青木研蔵。種痘の技術を初めて藩に持ち帰り、天然痘の予防に成功。藩主毛利敬親の即位を務め、明治2年には明治天皇の大典医にも任命されている。
青木研蔵の養子に入ったのが、周蔵。
ドイツに留学し、明治22年には第一次山形有朋内閣の外務大臣を務める。明治27年には駐英公使として、日英通商航海条約に調印し、領事裁判権の撤廃に成功したとこのと。
ここ、歴史で学んだ記憶があります。
奥様はドイツ貴族のエリザベットさん。
平成2年には1,200枚分の1分銀が床下から発見されています。
発見されたとき、木箱には明治2年の墨書があり、和紙包みの中に「青研」の文字があったことから、明治維新後に明治天皇の大典医となった研蔵のものと思われている。
研蔵は明治3年東京深川で事故死したため、行方が分からなくなったものと思われる。
江戸屋横丁
青木周弼邸を出て、木戸孝允邸へ向かいます。ここは、江戸屋横丁という通りです。
木戸孝允旧宅
青木邸の目と鼻の先に、木戸孝允邸があります。
こちらの木戸家で生まれ、9歳で桂家へ養子に行くものの、養母がなくなったため実家の木戸家で、江戸に出る20歳まで暮らしたとのこと。
普通の平屋建てのおうちという感じ。
2階の桁に書かれた桂小五郎少年の落書き。「ししてのちやむ」と読み、死ぬまで努力を続けるの意。
この画像では落書き部分が見えなかったので、次の写真を見てください。
薄暗いショーケースに、懐中電灯で光を当てると文字が見えるようになります。
桂小五郎少年の書道作品。「よくできました」の朱書きがあります。
旧久保田家住宅
江戸屋横丁から旧御成道に移動し、久保田家住宅へ。
蔵があるなど、お金持ちの商家の住宅です。
高杉晋作誕生の地
菊や横丁へ入ります。
高杉晋作誕生の地。木戸孝允生誕の地から、直線距離で100mもないと思います。
こちらは外から鑑賞。
堀内伝建地区
萩商家町周辺を歩いて、萩城址へ向かいます。
こちらは春日神社。時間が無くなってきたので、鳥居の前から参拝。
平安橋。城下町から三の丸への通路の一つの橋。
旧明倫館跡の碑
立派な石垣、みかんの木のある、完成な住宅街という感じ。現在も人が住まわれています。
堀内鍵曲(かいまがり)。
直角の道と、背の高い土塀により、外敵の侵入を防ぐ城下町独特のセキュリティーシステム。
萩城址
雨も本降りになってきましたが、ようやっと萩城址へ到着。
城址は指月公園となっていて、有料ではいれるのですが、風雨がひどくなってきたので、外観のみにしましたl
指月山を背景にきれいに整えられている城址でした。
石垣をぐるっと回ったのですが、すぐ横に海岸がありました。
きれいな砂浜でした。
せっかくなので、夏みかんジュース。甘酸っぱくってとてもおいしい。
このあと、萩循環まぁーるバスの西循環「晋作君」で萩駅へ。
萩駅の隣の玉枝駅にも停車したので、こちらで下車すれば、もう少し観光時間を長くとることができたと、後から反省。
萩~小倉(2,020円)
こちらの萩駅舎は展示などがあり、ここから列車には乗れません。
隣のJR駅舎から入ります。無人駅ですが、観光協会の方はいました。
正直、もっと大きい駅舎をイメージしていたので、拍子抜けです。
時刻表を見ると、長門行列車の前に、新下関行の「〇〇のはなし」という列車がありました。」先に発車するのに、目的地である小倉への到着は、一般の列車のほうが早かったので見送り。お座敷列車のようです。
(JR山陰本線)萩14:29発→長門15:02着
車両はこちら。
(JR山陰本線)長門15:20発→小串16:35着
長門駅では、元乃隅神社(もとのすみじんじゃ)推しと思われるオブジェがありました。
興味があったので、行こうかと思い調べたのですが、長門古市駅からタクシーで40分とあったので、断念しました。
(JR山陰本線)小串16:40発→下関17:24着
雨が降り続いています。
こちらは、本州最西橋の梅ヶ峠駅。「うめがとう」と読みます。
雨も上がり、夕日も少し見ることができました。
下関の手前の幡生駅が山陰本線の終着のようです。列車は下関まで向かいます。
(JR鹿児島本線)下関→小倉
下関から一気に小倉へ!と思っていたのですが、事故のため遅れが発生していました。
出雲以来の駅エスカレーターです。
下関で20分くらい待ってから、小倉行へ小倉へ。
Tanga Table
この日の宿は、小倉駅から歩いて10分のところにあるホステル。
地図の住所のところに行っても、入り口が見当たらないなあと思っていたら、ありました。4Fのようです。
ラウンジ
チェックインを済ませ、部屋へ向かいます。
左はキッチン&ラウンジ。
廊下を歩くと、ホテルというよりクラブっぽい雰囲気。
指定された部屋へ。
部屋
ドミトリーもあったのですが、wベッドの個室にしました。
白統一のシンプルな部屋。アメニティーはありませんが、ハンガー、タオルがあります。
大きな鍵付きロッカーもあります。
この上に洗面具などを置けたので使いやすかったです。
土足なので、スリッパは持って行ったほうがよかったですね。
1Fはブックオフ・焼き鳥屋・ローソン、3Fにはクリニック、上層階には某宗教施設が入居する町中の雑居ホテルを利用したホステルでした。
資さん
夕食処を探したところ、チェーンのうどん屋さんがあることが分かったため行ってみました。
おでんが1本100円だったのでオーダー。あとは、かしわうどん。
かしわうどんをネットで調べると「北九州で定番の、甘辛い鶏肉をトッピングしたうどん」とあります。
はじめて食べましたが、微妙でした。
皆さん、ごぼ天をオーダーしていたので、そっちにすればよかったです。
24時間営業で、メニューが豊富。福岡のウェストみたいだと思いました。
小倉城
小倉城がライトアップされていたので、近くまで行ってみました。
小倉城の前には川が流れ、川辺にはおしゃれなレストランが立ち並んでいました。
こんな風景も福岡の天神に雰囲気が似ていると思いました。